にいがた花力

にいがた花力 雪割草(最終回)

2012/03/01 :にいがた花力

第12回 雪割草

新潟県立植物園 副園長 倉重 祐二 氏 にいがた花力新潟に来て驚いたことの1つに、雪割草の展示会の多さがあります。2月から3月にかけて各地で開催されますが、販売業者だけではなく、愛好家の出展も盛んです。 もっと驚いたのが、虫眼鏡を持って、花を見ている人が多い! これは何かと思って聞いたら、花の構造を詳細に観察しているとのこと、さずがにお高い花は違う。買う前に良く観察することが必要なんですね。 新潟の花はチューリップ、木はユキツバキ、そして平成20年の3月に指定された草花が雪割草ですが、私も雪割草検討委員会のメンバーとして検討に加わり、「雪割草を県の草花に指定し、効果的に情報を発信していくことを提言する」旨の報告書を作成しました。 自生地だけではなく、栽培や品種改良の歴史からみても、まさに雪割草は新潟県を代表する植物といえるでしょう。 無題さて、今月で「にいがた花力」の連載が終わります。毎度毎度、経済誌にこんな内容で良いのだろうかと思いながら書いていましたが、新潟での植物栽培や品種改良の長い歴史、全国第2位の生産量を誇る鉢物花木生産の現状を多少でも知っていただけたかなと思っています。 これまでお付き合いくださった読者の皆様に厚く御礼申し上げます。

新潟の園芸はなぜ発展したのか

雪割草のお話に入る前に、筆者が新潟の花卉園芸の歴史を調査した中で、なぜ園芸産業が大きく発展したのかを考えてみました。時代や植物の種類を問わず、以下の5つの要素が重なった時期に園芸産業が飛躍的に拡大しているようです。 1.西洋花卉等の積極的な導入 江戸時代、大都市圏の近隣に発展した産地に比較して、弱小産地であった新潟県は、他産地に先駆けてアザレア、チューリップ、シャクナゲなどの西洋の植物を導入、栽培に成功した。 2.流行の創出 ヤブコウジ、葉に斑の入る柄物シュンラン、シャクナゲなど、希少性や独自性を前面に打ち出して、生産者が仕掛けて流行をつくった。 3.新品種の作出 オリジナル品種の作出。新潟だけにしかなく、観賞価値の高い品種。販売面のみならず産地を宣伝する効果も高い。 4.栽培、繁殖技術の革新 ボタンをシャクヤクに接ぐ技術、アザレアの栽培用土の改良など、他にはない栽培技術を開発した。 5.販路の拡大 生産地近隣での販売から、全国規模の通信販売、海外への輸出と大量に生産される植物の販路を拡大した。 続きを表示…

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にいがた花力 ボケ

2012/02/01 :にいがた花力

第11回 ボケ

新潟県立植物園 副園長 倉重 祐二 氏

にいがた花力平成21年に日本ボケ協会で「日本のボケ」を出版しました。小生も「ボケの園芸史」を寄稿しましたので、出版記念パーティーに出席しましたが、会場の看板「日本ボケ協会」がいけなかった。知らない人が会場をそーっとのぞきに来ていました。一体、どんな人の集まりなのか、皆さん興味があったのでしょうね。
 
そのボケですが、日本一の生産量を誇るのが本県、毎年発表される新品種もほとんどが県内で育成されたものであるように、新潟はボケのメッカといえるでしょう。ボケというとオレンジ色の花が早春に咲くくらいのイメージしかない向きが多いと思いますが、日本ボケ協会が毎年3月に新潟市内で開催する日本最大の展示会「日本ボケ展」を見学すると、その花の多様さと華麗さに目を見張ります。
 
では、新潟県がボケの日本最大の産地になった歴史をひもといていきましょう。

明治までは人気が出ず

無題6中国原産のボケの渡来時期は、平安初期以前であるとされる。
 
「本草和名」(918年)に「木瓜(ぼけ) 和名毛介(もけ) 」とあることや、「延喜式(えんぎしき)」(927年)に、「御杖木瓜(ぼけ)三束」とあることから、この時代にはすでに相当に栽培されていたとされる。日本にもクサボケが自生するが、昔の記録を見ると、「しどみ」などと呼ばれていることから、木瓜は中国渡来原産のボケをさしていると考えられている。「延喜式」の記述は、中国の故事に倣ってボケでつくった杖がこむら返りを治すと信じられたからであろうし、酒に浸けた果実が疲労回復の薬に用いられたように、当時は有用植物として栽培された。
 
江戸時代にはツツジやツバキ、サクラなど数多くの植物の園芸品種が作出されたが、ボケの改良はほとんど行われなかったようだ。元禄年間(1688~1704)の園芸書には、淀ボケや八重ボケなど多少の品種が掲載されている程度で、その後の文政元(1818)年に刊行された「草木育種(そうもくそだてぐさ)」には、淡紅色花のさらさぼけ、濃赤の緋ぼけ、白花の園芸品種があったことが記されている。ツツジやツバキには数百の品種があったのにくらべると、ボケの人気はそう高くなかったことが分かる。
 
この状況は近代に入ってからも変わらず、明治末期に出版された園芸書や種苗カタログを調べてみても、赤、白、絞りの3品種が掲載されているのみで、ほとんど園芸品種は発達しなかったと考えられる。
 
本県においては、宝暦6(1756)年に丸山元純によって著された「越後名寄」の木瓜の項に、「花ノ真紅ナル者有、刺多シ。俗ニヒトメ(シドメ:クサボケのこと)ト云、園ニ栽、(以下略)」とあることから、すでにボケが栽培されていたことが分かる。一方、小合村(現新潟市秋葉区)では江戸中期の明和年間(1764~72)にはボケが生産されたとされる。
 
本県初の通信販売カタログである新潟市の長尾草生園の「営業目録」(明治41年)には、盆栽の項に「寒木瓜」の名がみえるのみで、時代が明治に移っても他県と同様、園芸品種は未発達だったと考えられる。

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にいがた花力 ツバキ

2012/01/01 :にいがた花力

第10回 ツバキ

新潟県立植物園 副園長 倉重 祐二 氏

にいがた花力新年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくおつきあいくださいますよう、お願い申し上げます。
 
さて、新潟県の木はユキツバキ。
 
でも、どんな植物なのかをご存知のない方も多いと思いますので、ちょっと長くなりますが、まずは植物の解説から。

ユキツバキはヤブツバキの変種

寒椿はツバキとサザンカの交配種で、新潟でも広く栽培される

寒椿はツバキとサザンカの交配種で、新潟での広く栽培される

 
ユキツバキはツバキ科ツバキ属の木本植物。日本のツバキには、本州、四国、九州、沖縄から台湾に分布するヤブツバキ、沖縄県に生えるヒメサザンカ、本州の山口県、四国、九州、沖縄に生えるサザンカの3種類がある。
 
最も北に生えるのがヤブツバキで、分布も一番広い。単にツバキと言えば、ヤブツバキのことを指す。余談だが、日本茶や紅茶の原料のチャもツバキ属。
 
あれ、本題のユキツバキがないと思われる向きもあるだろうが、実はユキツバキは、多雪地帯に適応したヤブツバキの変種で、東北から北陸に生える。実際どのくらいの雪の量かと言えば、元新潟大学教授の石澤先生の研究によれば、年間最深積雪量が1.5m以上で、積雪期が90~200日の地域だそうだ。ということで、新潟でも佐渡や海岸近くにはヤブツバキが生える。
 
両種の見分け方。ユキツバキの木は積雪地に適応して樹高が2~3mと低く、幹も多数出る。片や、ヤブツバキは15mに達する高木である。花も違っていて、ユキツバキの花は広く開き、雄しべ(花糸)は黄色で元まで別れる。一方、ヤブツバキの花は少し開いた杯状で、雄しべは白色、基部でくっついて筒状になる。
 
花の時期は雪解け後、植物園だと4月。ユキツバキの名は、雪の中で咲くという意味ではなく、雪の多いところに生えるツバキということであろう。

では、庭に良く植えられている、冬中咲く赤色で八重のツバキはなんだろうか。これは「寒椿」(関西では「獅子頭」)という園芸品種で、ツバキとサザンカの交配種。サザンカは10月から12月に咲くので、交配して冬咲きの品種がつくられた。新潟市内の庭を見てもツバキの仲間で栽培されているのは、ほとんどヤブツバキとサザンカの園芸品種ばかりで、ユキツバキはほとんど見たことがない。名前は知られているけれど、その実態は知られていない植物の代表、それがユキツバキなのかもしれない。
 
さて、一つ余計な話。県立植物園の付近は、積雪が1.5mに満たないが、ヤブツバキとユキツバキの分布の境目にあたり、両者の中間型の形を持つユキバタツバキ(雪端椿)が生える。花形や花色はさまざまで、ユキツバキのようなもの、ヤブツバキのようなものがあり、一株ずつ花が異なって美しい。
 
では次から本題、ツバキの歴史について。

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にいがた花力 アザレア(後編) 

2011/12/01 :にいがた花力

第9回 アザレア(後編)

にいがた花力新潟県立植物園 副園長 倉重 祐二 氏

9月末から10月にドイツに遊びに行ってきました。花屋さんをちょっと覗いたら、アザレアも売られていました。イタリア、ドイツ、ベルギーはヨーロッパでもアザレアの生産が盛んですので、秋になれば早咲きの品種がEU諸国に出荷されているようです。品種は分かりませんでしたが、これがはるか昔に日本から渡ったツツジの子孫なのかと思うと感慨深いものがあります。
 
先月は江戸時代に育成されたツツジがヨーロッパに渡り、アザレアに変身し、明治時代に里帰りしたこと、昭和に入ってから大流行したこと、新潟県での生産や先進的な品種改良について述べました。今回はその続きです。

新潟が日本最大の産地に

 
無題2昭和初期の新潟県内のアザレア生産は、主に新潟市で行われており、数軒の生産者が年1万本を目標に生産に励んでいた。その後、順調に生産が増加し、昭和10年頃には国内最大のアザレアの生産地にまで発展した。昭和9年の「実際園芸」の記事には、小合村(現新潟市秋葉区)を中心として新潟県内で年産50万本ものアザレアが生産されていると書かれている。また、昭和12年の同誌の記事には、年産20万本を超す生産者もおり、3,000~5,000本規模の生産者は数百名に及んでいること、全国に移出し、品種も70種におよび小合村で改良された品種も数種を有すると記されている。
 
新潟のアザレアは国内だけではなく、満洲や朝鮮にも大量に輸出された。昭和9年には新潟県花卉球根協会の主催で、満州国大連市の喜久屋デパートにおいて、新潟を代表するアザレアやボタン、その他花卉類の宣伝会が開催されるなど、海外での宣伝活動も行われている。生産の増加や輸出事業を行うために、昭和15年春には小合村アザレア生産組合が設立された。
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にいがた花力 アザレア(前編)

2011/11/01 :にいがた花力

第8回 アザレア(前編)

新潟県立植物園 副園長 倉重 祐二 氏

にいがた花力なんでも日本一は非常に結構ですね。花卉園芸の世界ですと、新潟県では、県の花であるチューリップの切り花、ボケやシャクナゲの鉢物、それに加えて今月取り上げる日本の80%以上を生産しているアザレアがあります。実は、というほどではないのですが、私の専門がアザレアの含まれるツツジの仲間でして、今回はいつもより余計に回しておりますではなく、念入りに解説いたします。
 
さて、本題に入る前にアザレアについて。一言でいえば、秋から冬にかけて販売される、19世紀末から西欧や国内で改良された鉢植えのツツジの総称で、大きくて、豪華な八重咲きの花が特徴です。
 
新潟県は昭和10(1935)年ごろより現在まで全国一の生産量を誇ると共に、数多くの新品種を世に送り出したアザレアのメッカです。

故郷は日本

江戸時代中期に作出された「大紫」は栽培容易で、公園などに植栽される

19世紀初頭からアジアに派遣された西欧のプラントハンター(植物採集家)は、江戸時代末期に日本を訪れ、本国に数多くの植物を持ち帰った。鎖国をしていた日本の植物はほとんど文献でしか知られていなかったため、訪日した専門家は豊富な植物相、また高い園芸文化に驚きと興味を覚えた。日本の花を代表するサクラ、モミジ、ツバキ、アジサイ、ボタン、ユリ等がプラントハンターによって西洋に紹介され、園芸愛好家にも高く評価された。明治以降にもこれらの植物は大量に輸出され、後には広く世界各地で栽培されるようになった。もちろん、花の美しいツツジも数多くの品種が持ち帰られた。

 

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にいがた花力 ユリ

2011/10/03 :にいがた花力

第7回 ユリ

新潟県立植物園 副園長 倉重 祐二 氏

にいがた花力今回はユリのお話です。では、最初に問題。ユリの花びらは何枚でしょう?
 
ハイ、答えは6枚ですね。実はというほどではないのですが、外側の3枚は萼(がく)が変化したもので、内側3枚が本来の花びらです。ユリやラン、アヤメの仲間である洋ラン、チューリップや花菖蒲なども花弁数は3が基本です。外側の萼由来の花弁を外花被(がいかひ)、もともとの花びらを内花被(ないかひ)といいます。ランの場合は内花被の下の1枚がさらにリップ(唇弁)に変化しています。
 
そんなことはどうでもいいのですが、ユリと言えば、明治時代の球根自生地の争奪戦はすごかったらしい。

シーボルトが球根を持ち帰る

新潟にも自生するヤマユリ。鑑賞だけでなく球根は食用にもされた

新潟にも自生するヤマユリ 観賞だけではなく球根は食用にもされた

日本のユリが西欧に渡ったのは1929年のこと。オランダ商館医として来日したシーボルトによってである。シーボルトは日本人に蘭学を教授する等、我が国の自然科学の発見に貢献したが、帰国の際に国禁の地図を持ち出そうとした容疑で1829年に国外追放された。いわゆるシーボルト事件である。
 
その際、彼自身の植物コレクションの中から1,200株を選び、オランダに持ち帰ったが、半年に及ぶ長旅により、わずかに260株を残して枯死したという。ユリの球根は10種類のうち7種類が生き残り、開花時には新聞にその美しさが紹介されるなどヨーロッパで絶賛を博した。

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にいがた花力 ヤブコウジ

2011/09/01 :にいがた花力

第6回 ヤブコウジ

にいがた花力新潟県立植物園 副園長 倉重 祐二 氏

儲かるという、うまい話はいつでもあるようですが、それが目の前で繰り広げられていると、つい自分もと思ってしまうかもしれません。今月取り上げるヤブコウジは、明治時代に新潟に端を発して、全国的に投機の対象として大流行した植物です。最も値段の高かった時には、現在の価値に換算して1000万円以上で取り引きされていました。100万円で買って、明日には150万円で売れるとすれば、借金してでも買おうかと思ってしまうでしょうね。私もその時代に生きていれば、買っただろうな、多分。

ヤブコウジは縁起植物

明治時代、新潟県に狂乱的ブームを呼び起こしたヤブコウジ(写真は「峰の雪」)

明治時代、新潟県に狂乱的ブームを呼び起こしたヤブコウジ(写真は「峰の雪」)

さて、そんな高値であったヤブコウジとはどんな植物なのかをまずは解説。
 
地面を這って生育する小型の常緑潅木(かんぼく)で、県内にも林の中など、ごく普通に生える。現在もお正月の寄せ植えや庭の下草などとして使われる。これが高値で売れれば、植物を知っている人は大金持ちになれるのですが、残念ながら高価だったのは葉に模様(斑)が入る変わり物でして、山に生える緑の葉のものはほとんど価値がありません。残念。
 
しかし、ヤブコウジは古くから観賞されており、万葉集にも「山橘(やまたちばな)」として、果実の美しさが詠まれ、また濃い緑の常葉(ときわ)と赤い果実の対比が美しいため、縁起を祝う植物として正月の床飾りや寄せ植えとして用いられてきた。
 
ヤブコウジの名前は藪に生える柑子(こうじ)(小型のミカン)のような葉と果実を持つ植物という意味である。昔の資料を見ると、「紫金牛」と書かれているが、これは中国語の表記(漢名)で、「やぶこうじ」と読ませる。

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にいがた花力 アサガオ

2011/08/01 :にいがた花力

第5回 アサガオ

新潟県立植物園 副園長 倉重 祐二 氏

無題毎年8月下旬に植物園でアサガオの展示を行っているのですが(冒頭の写真はその1つ)、「水が足りなくて枯れている」と、お客様がおっしゃいます。確かに、葉が巻いて、さわるとかたくてパリパリしていますし、花も咲いているんだか、咲いていないんだか、小さくて変な形で、小学校の夏休みに観察したアサガオとはまったく違います。
 
このアサガオが、江戸時代から栽培が続いている日本の伝統園芸植物、変化朝顔なのです。こう言えば格好良いのですが、傍からみればきれいとは思えない変なアサガオを、あれが良いだの、悪いだのと、趣味家が飽かずに改良してきたオタク植物とも言えるでしょう。
 
アサガオは一年草なので、種子で毎年ふやさなければなりませんし、どんな花かは、咲くまで分からないので、花屋でも売っていません。商売抜きで150年以上も途切れずに続いてきた変化朝顔の魅力とは何なのでしょうか。

花以外は輸入大国

昨年、新潟県立植物園で展示された変化朝顔

昨年、新潟県立植物園で展示された変化朝顔

日本原産の野生植物は約7,000種類と面積の割には植物が豊富で、固有種も多いことが知られている。しかし、これらの植物は、例えば米や麦などの穀物、野菜、果樹、香辛料などの作物の原種としてはほとんど利用されていない。利用されているのは、ワサビくらいであろうか。もちろん山菜のようなものはそれぞれの地域で食べていただろうが、野生からの採取であって、作物とは言えない。改良されてアワとなった猫じゃらし(エノコログサ)は日本にも自生するが、海外で改良され縄文時代以前に渡来している。
 
その一方で、日本原産の植物は、世界の花卉園芸に大きく貢献している。日本は江戸時代に世界最高水準の園芸文化を誇り、自生するツツジ、サクラ、アジサイ、ツバキなどを改良し、多種多様な園芸植物を生み出した。これに加えてもともとは薬用植物として渡来したボタン、シャクヤク、アサガオなども独自に改良された。食用に輸入したキャベツさえも観賞用のハボタンとしている。
 
日本原産植物は、観賞用としての利用価値が高く、かつ自国で改良されたことは他には見られない特徴だろう。

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