青空 青島 青い論

中継ぎが打たれて偉業を逃した大谷翔平 しかし、大切なことはそこではない

2018/06/01 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

この日、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手が勝ち投手になると、4月に打者として3本塁打、投手として3勝を記録することになり、メジャーリーグ史上初の快挙が生まれるはずだった。

日本時間4月25日のヒューストン・アストロズ戦。先発の大谷は制球に苦しみながらも要所を抑え、5回まで4対3と1点のリードを守っていた。このまま勝てば、大谷の3勝目が決まる。6回のマウンドにも上がった大谷だったが、先頭のグリエルを四球で歩かせてしまう。続くブレグマンを三球三振に仕留めたのは良かったが、ここで球数が98球になった。メジャーリーグでは100球前後で先発投手を交代させる。長いシーズンを投げ抜いてもらうための工夫だ。大谷にも無理はさせない。エンゼルスのソーシア監督は、ここで躊躇(ちゅうちょ)なく、左のアルバレスにスイッチした。

ここまではすべて予定通り。しかも迎える打者は、左のマッキャン。左打者に左投手をぶつけるのもセオリーだ。このまま逃げ切れば大谷に3勝目をプレゼントできる。ソーシア監督もそのイメージを持ってアルバレスを送り込んだことだろう。しかし、私の脳裏にはなぜか嫌なイメージが広がっていた。アルバレスはきっと打たれる…。

ここで思い出したのは、4月17日、ハードオフエコスタジアム新潟で行なわれた横浜DeNA対巨人の一戦。

続きを表示…

このページのトップへ

開港150周年を機に、スポーツの意味を改めて考える

2018/05/01 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

2019年に新潟港が開港150周年を迎えるにあたって、さまざまな記念事業がもうすでにスタートしていることは、周知の通りだ。この夏にも国土交通省との連携で「海フェスタにいがた」が開催(7月14日~29日)され、新潟市、佐渡市、聖籠町を中心に海にまつわるイベントが展開される。その他にも150周年事業の一環として新潟港(西港、東港)周辺のみならず、新潟市および県内各所で開港を祝う式典やフェスティバルが次々と予定されている。こうした活動が県民の新潟の海への理解を深め、新潟港の重要性を改めて知る機会になることには大いに意義がある。また各種のイベントを通じて、国内・海外さまざまな観光客が新潟を訪れることは、インバウンドの経済効果に直結する好機ともなるだろう。行政と民間が連携して進められるこの周年事業が、新潟にとって大きなチャンスになることを期待している。

「港」といえば、スポーツにとっても実は重要な意味がある。もちろん港湾を舞台に競われるヨットやトライアスロンのような競技もあるが、そもそも「SPORTS」の語源は、「PORT」つまり「港」に由来しているという説がある。英語の「DISPORT」は「遊ぶ、戯れる」の意を持ち、これが私たちの楽しみである「SPORTS」に転じたといわれているが、注目すべきは「DISPORT」の成り立ちである。「DIS」と「PORT」は、「離れる」と「港」という意味になり、「港を離れて自由に航行する」ことを「遊ぶ、戯れる」と定義したわけである。

続きを表示…

このページのトップへ

日本ハム・栗山監督は、なぜ清宮を「幸太郎」と呼ぶのか?

2018/04/03 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

母方の祖母である本間菊枝の葬儀で、新潟市南区白根「高念寺」のご住職が会葬者を前におっしゃった。

「故人を偲ぶとともに、この機会にみなさまの名前をもう一度見直してみてください。こんなふうに育って欲しい。そこにはあなたが生まれたことを誰よりも喜んでいる方々の思いが込められています」

「健太」という名前は、菊枝の夫、祖父の本間七郎治(明治生まれ)が命名したと両親から聞いた。妹の名前は「康子」。二人合わせて「健康」というのだから、これは分かりやすい。おかげ様で兄妹とも今日まで大病もせず、健康が取り柄で生きてきた。有難い名前をもらったことに感謝しかない…。

と、言いたいところなのだが、命名に関する新事実が発覚したのは、当方が30代の頃だった。万代橋の近く「流作場」で生まれ育った七郎治が、「新潟古老百話」という本に書き残した文章に、こんな件(くだり)があったのだ。

「昔、万代橋の袂(たもと)に『健太車屋』という威勢のいい店があって…」

車屋とは、今のタクシーか運送業か?きっと若い衆が人や荷物を元気いっぱいに運んでいたのだろう。もしかすると祖父は、この店の屋号から「健太」という名前を取ったのか。いや、そうに違いないと思った。

だとすると、そこに込められた思いは、元気いっぱいに大きな荷物を運ぶこと。なるほど野球のトレーニングで、下半身を鍛えるために、古タイヤを引っ張る練習をたくさんすることになったわけだ。

続きを表示…

このページのトップへ