青空 青島 青い論

日本ハム・栗山監督は、なぜ清宮を「幸太郎」と呼ぶのか?

2018/04/03 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

母方の祖母である本間菊枝の葬儀で、新潟市南区白根「高念寺」のご住職が会葬者を前におっしゃった。

「故人を偲ぶとともに、この機会にみなさまの名前をもう一度見直してみてください。こんなふうに育って欲しい。そこにはあなたが生まれたことを誰よりも喜んでいる方々の思いが込められています」

「健太」という名前は、菊枝の夫、祖父の本間七郎治(明治生まれ)が命名したと両親から聞いた。妹の名前は「康子」。二人合わせて「健康」というのだから、これは分かりやすい。おかげ様で兄妹とも今日まで大病もせず、健康が取り柄で生きてきた。有難い名前をもらったことに感謝しかない…。

と、言いたいところなのだが、命名に関する新事実が発覚したのは、当方が30代の頃だった。万代橋の近く「流作場」で生まれ育った七郎治が、「新潟古老百話」という本に書き残した文章に、こんな件(くだり)があったのだ。

「昔、万代橋の袂(たもと)に『健太車屋』という威勢のいい店があって…」

車屋とは、今のタクシーか運送業か?きっと若い衆が人や荷物を元気いっぱいに運んでいたのだろう。もしかすると祖父は、この店の屋号から「健太」という名前を取ったのか。いや、そうに違いないと思った。

だとすると、そこに込められた思いは、元気いっぱいに大きな荷物を運ぶこと。なるほど野球のトレーニングで、下半身を鍛えるために、古タイヤを引っ張る練習をたくさんすることになったわけだ。

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