青空 青島 青い論

ソフトバンク松田選手に見た悔しさの処方

2018/11/01 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

スポーツには些細なことに本質が隠れている。あるいは小さなことから大事な真実がみえてくる。そんなことを考えさせられる出来事を目撃した。

9月29日に行なわれたプロ野球。埼玉西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークスの一戦だ。この日の主役は、もちろん西武だ。マジック1で迎えたこの試合、西武が勝てば2008年以来の優勝を飾る。所沢の本拠地メットライフドームを埋めた3万人を超えた観衆のほとんどは、その優勝を見届けにきたライオンズファンだった。この試合を私は、ラジオの放送ブースで解説していた。

試合前に会った西武の辻発彦監督がいった。

「今日勝てば13連勝。昭和33年(1958年)にライオンズ(当時は西鉄)が優勝した時も13連勝目に優勝を決めている。そして今日勝てば今シーズンの85勝目。俺の背番号は85番だし、健太も一緒だけど俺たちは昭和33年生まれ。今日はいろいろ楽しみな数字があるんだよ」

私は、この話を辻監督自身が切り出したことに意味を感じた。験を担ぎたいのだ。たとえマジックが「1」になっても優勝を目前にした監督は祈るような気持ちなのだ。しかし、本稿で触れるのはそんな辻監督についてではない。その辻監督の期待を打ち破ってライオンズファンに悲鳴を上げさせたホークスの松田宣浩選手だ。

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スポーツ界に通底する不祥事の原因

2018/10/01 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

スポーツ界でさまざまな問題が噴出している。あまり書きたくないテーマだが、これだけ不祥事が続いているともう無視する訳にもいかない。なぜこんなに同じようなことが起こるのか。もしかすると通底する同種の原因があるのかもしれない。

今年になって表面化したスポーツ界の問題を時系列に追いかけてみよう。

まずは女子レスリングであった指導者によるパワーハラスメント(パワハラ)だ。五輪で4連覇を成し遂げた世界的な女子選手が、練習環境を奪われ彼女が師事した男性コーチからの指導も受けてはならないといわれた。教え子が自分の下を離れていくことが寂しかったのか、結果的には彼女の競技活動を妨害するような形になってしまった。

次に起こったのは大学アメリカンフットボール部の悪質なタックル問題だ。これも多くの説明は要らないだろうが、プレーが止まっているにもかかわらず、無防備な相手選手にタックルを仕掛けた、スポーツとは思えない出来事だ。

タックルをした選手は、会見を開き監督とコーチからの指示があったと証言したが、当の指導者はこれを否定している。大学が所属する連盟や調査を依頼された第三者委員会は、監督の指示があったという認識を示した。監督とコーチは、自分たちと選手の間にプレーに対する考え方の乖離(かいり)があったと説明した。

日本ボクシング連盟会長に対する不信感は関係者の我慢の限界を越えていた。

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この夏、高校球児に教わる野球とは何か?仕事とは何か?

2018/09/03 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

ともにグレーのユニフォームが甲子園球場に登場した。夏の甲子園、大会1日目第3試合。1塁側に北神奈川代表の慶應義塾高校、3塁側に新潟県代表の中越高校が陣取った。正直いってどちらを応援していいか分からなかった。

慶応は出身大学の付属校、森林貴彦監督もよく知っている。一方の中越は故郷新潟の代表で卒業生に知り合いも多い。結果は、周知の通り慶應が3対2のサヨナラ勝ちで中越を破った。

中越高校の野球部OB(二人)と東京でよく酒を飲む。一人は、築地市場で活躍するW氏。魚介類に対する豊富な知識と経験を有する仲買人として若手の範となっている。年齢は50代半ば、酒を飲むと未だに野球部時代の思い出話に花が咲く。一旦は都内の強豪校に入学したが、訳あって中越高校に転校した。新潟で鍛えられた日々。当時の監督を今でも「先生」と呼び、その恩を忘れることはない。

もう一人は、W氏の1年後輩にあたるI氏。

中越高校で甲子園に出場した後は、社会人野球に進み、引退後はオーストラリアに渡りシドニーでラーメン店を起業し成功している。彼とは社会人野球でチームメイトだった。今はシドニーの店を若手に譲り、新たにニュージーランドへの出店を考えている。I氏の実家は寺泊の米屋さんで、今はお兄さんが継いでいる。I氏には野球をするうえでちょっとしたハンデがある。小学校時代に跳び箱を運んでいるときにつまずき、右手の人差し指の先を失ってしまったのだ。おかげでボールを真っ直ぐ投げるのが難しくなってしまった。しかし、それでも彼は自分自身で投げ方を工夫して、高校野球でも社会人野球でも活躍を続けた。W氏は、そんなI氏を自慢の弟のようにかわいがり、今でも彼の帰国を待って毎回酒席を開いているのだ。

私は、埼玉県の高校に通っていたので、彼らと学校は違うが、高校野球の話になるとほとんど話題が共通するから面白い。怖い先輩の存在、練習中に水を飲んではいけなかった時代の苦労話、ここでは書けないヤンチャ自慢や武勇伝など…。どこの学校の野球部も同じようなことをやって青春を謳歌していた。まだまだいろいろなことが許されていた(いや、そう思っていた)時代の笑い話のようなエピソードである。

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サッカー日本代表 西野朗監督に見るリーダーの条件

2018/08/01 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

幕を閉じたサッカーワールドカップ・ロシア大会。当初は「おじさんジャパン」や「忖度ジャパン」とその平均年齢の高さやビッグネームのベテランを数多く選んだことを揶揄された日本代表だったが、始まった大会では、そうした批判を見返す見事な快進撃を披露した。残念ながらアルビレックス新潟出身の酒井高徳(ハンブルガーSV)の出番は少なかったが、今回の経験は、彼にとっても新たな飛躍の発奮材料になることだろう。

日本代表の活躍(ベスト16)の要因はさまざまあるが何といっても西野朗監督がみせた選手起用を含めた采配の妙と個性派集団をひとつに束ねたチームマネジメントは秀逸だった。

西野監督とは何度か仕事でご一緒しているが、バックステージでは口数の少ない穏やかな人だ。誕生日が同じ(4月7日)なので、より一層親近感を持っているが、高校も同じ埼玉県内の学校を卒業している。彼の通った埼玉県立浦和西高校は、県内有数の進学校でありながらも、極めて自由な校風で当時から私服(制服がない)で通う男女共学の学校だった。ちなみに当方の母校・県立春日部高校は、バンカラが校風の男子校だった。西野監督が今大会でみせた柔軟で自由な発想は、高校時代に身に付けたスタイルのように思えてならない。

彼の柔軟な姿勢と価値観がよく表れていたのは、23人の代表メンバー発表のときだった。

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史上最遅昇進の大関・栃ノ心遅いことが彼をつくった

2018/07/02 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

大相撲夏場所。

大関昇進を決めた栃ノ心にとって、新潟出身、西前頭3枚目の豊山との一番(6日目)が、振り返れば最大の山場だった。

この日まで5戦全勝。立ち合いから得意の左上手を狙ったが、これが取れずに慌てた。繰り出した突っ張りも上滑りで、豊山の圧力にあっという間に土俵際まで押し込まれる。勝負あったかに思われた瞬間、栃ノ心がわずかに態勢を右にかわして、起死回生の「突き落とし」を決めた。豊山にとっては、ほとんど勝ったも同然の相撲だったが、最後の最期で詰めを焦った。

これで栃ノ心は無傷の6勝。本人も「負けていたら最悪」と振り返った通り、絶体絶命の相撲を拾ったことで逆に勢いを増すことになった。初場所に続く優勝こそ逃したが13勝2敗の成績で念願の大関昇進を果たした。

栃ノ心のここまでの歩みは、豊山との一番に似ている。

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中継ぎが打たれて偉業を逃した大谷翔平 しかし、大切なことはそこではない

2018/06/01 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

この日、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手が勝ち投手になると、4月に打者として3本塁打、投手として3勝を記録することになり、メジャーリーグ史上初の快挙が生まれるはずだった。

日本時間4月25日のヒューストン・アストロズ戦。先発の大谷は制球に苦しみながらも要所を抑え、5回まで4対3と1点のリードを守っていた。このまま勝てば、大谷の3勝目が決まる。6回のマウンドにも上がった大谷だったが、先頭のグリエルを四球で歩かせてしまう。続くブレグマンを三球三振に仕留めたのは良かったが、ここで球数が98球になった。メジャーリーグでは100球前後で先発投手を交代させる。長いシーズンを投げ抜いてもらうための工夫だ。大谷にも無理はさせない。エンゼルスのソーシア監督は、ここで躊躇(ちゅうちょ)なく、左のアルバレスにスイッチした。

ここまではすべて予定通り。しかも迎える打者は、左のマッキャン。左打者に左投手をぶつけるのもセオリーだ。このまま逃げ切れば大谷に3勝目をプレゼントできる。ソーシア監督もそのイメージを持ってアルバレスを送り込んだことだろう。しかし、私の脳裏にはなぜか嫌なイメージが広がっていた。アルバレスはきっと打たれる…。

ここで思い出したのは、4月17日、ハードオフエコスタジアム新潟で行なわれた横浜DeNA対巨人の一戦。

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開港150周年を機に、スポーツの意味を改めて考える

2018/05/01 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

2019年に新潟港が開港150周年を迎えるにあたって、さまざまな記念事業がもうすでにスタートしていることは、周知の通りだ。この夏にも国土交通省との連携で「海フェスタにいがた」が開催(7月14日~29日)され、新潟市、佐渡市、聖籠町を中心に海にまつわるイベントが展開される。その他にも150周年事業の一環として新潟港(西港、東港)周辺のみならず、新潟市および県内各所で開港を祝う式典やフェスティバルが次々と予定されている。こうした活動が県民の新潟の海への理解を深め、新潟港の重要性を改めて知る機会になることには大いに意義がある。また各種のイベントを通じて、国内・海外さまざまな観光客が新潟を訪れることは、インバウンドの経済効果に直結する好機ともなるだろう。行政と民間が連携して進められるこの周年事業が、新潟にとって大きなチャンスになることを期待している。

「港」といえば、スポーツにとっても実は重要な意味がある。もちろん港湾を舞台に競われるヨットやトライアスロンのような競技もあるが、そもそも「SPORTS」の語源は、「PORT」つまり「港」に由来しているという説がある。英語の「DISPORT」は「遊ぶ、戯れる」の意を持ち、これが私たちの楽しみである「SPORTS」に転じたといわれているが、注目すべきは「DISPORT」の成り立ちである。「DIS」と「PORT」は、「離れる」と「港」という意味になり、「港を離れて自由に航行する」ことを「遊ぶ、戯れる」と定義したわけである。

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日本ハム・栗山監督は、なぜ清宮を「幸太郎」と呼ぶのか?

2018/04/03 :青空 青島 青い論

青島 健太(あおしま けんた)スポーツライター&キャスター1958年生、新潟市出身。1985年ヤクルトスワローズに入団、5年間プロ野球選手として活躍。現在、スポーツライター及びテレビキャスターとして活躍中。

母方の祖母である本間菊枝の葬儀で、新潟市南区白根「高念寺」のご住職が会葬者を前におっしゃった。

「故人を偲ぶとともに、この機会にみなさまの名前をもう一度見直してみてください。こんなふうに育って欲しい。そこにはあなたが生まれたことを誰よりも喜んでいる方々の思いが込められています」

「健太」という名前は、菊枝の夫、祖父の本間七郎治(明治生まれ)が命名したと両親から聞いた。妹の名前は「康子」。二人合わせて「健康」というのだから、これは分かりやすい。おかげ様で兄妹とも今日まで大病もせず、健康が取り柄で生きてきた。有難い名前をもらったことに感謝しかない…。

と、言いたいところなのだが、命名に関する新事実が発覚したのは、当方が30代の頃だった。万代橋の近く「流作場」で生まれ育った七郎治が、「新潟古老百話」という本に書き残した文章に、こんな件(くだり)があったのだ。

「昔、万代橋の袂(たもと)に『健太車屋』という威勢のいい店があって…」

車屋とは、今のタクシーか運送業か?きっと若い衆が人や荷物を元気いっぱいに運んでいたのだろう。もしかすると祖父は、この店の屋号から「健太」という名前を取ったのか。いや、そうに違いないと思った。

だとすると、そこに込められた思いは、元気いっぱいに大きな荷物を運ぶこと。なるほど野球のトレーニングで、下半身を鍛えるために、古タイヤを引っ張る練習をたくさんすることになったわけだ。

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