越佐歴史漫筆

一月遅れ

2021/07/01 :越佐歴史漫筆

新潟市歴史博物館(みなとぴあ)  館長     伊東 祐之 氏

旧暦

4・5月号の越佐歴史漫筆①で、新政府による新潟港開港日の明治元年11月19日は、西暦で1869年1月1日だと書いた。明治5年まで日本では旧暦が用いられ、現在、私たちが用いている西暦とは異なっていた。旧暦とはどのような暦なのか。大雑把にいえば、旧暦は太陰暦で、月の満ち欠けに基づき新月から新月までを1か月とする。したがって、月の形をみれば日付けがわかる。1日はいつも新月で、15日はいつも満月である。月齢の一回りは、厳密には29日半ほどなので、1か月が30日の月と29日の月があった。30日の月を大の月、29日の月を小の月といった。私たちが使用している西暦とは異なり、何月が大小にあたるかはその年によって違った。

季節や自然は太陽のめぐりで変わっていく。月の12か月は太陽の1年より11日ほど少ない。放っておくと、3年で一月ほどずれていく。そこで旧暦では3年に1回、1年を13か月にした。いずれかの月のあとに閏月を設けて、太陽暦とのずれを修正していた。たとえば戊辰戦争のあった慶応4年は、4月の後に閏4月があった。3月末に江戸から帰藩した河井継之助は5月2日に慈眼寺会談をするが、その間は1か月余ではなく、2か月余あったことになる。因みに慶応4年は旧暦9月8日に明治と改元されて明治元年となる。この時に一世一元の詔が出た。それ以前は天皇の交替と関係なく改元されている。なので日本の歴史で一世一元は大正・昭和・平成のみである。

こうした暦を編む実務は、江戸時代前期以降は幕府天文方が行い、暦を作成販売する業者(弘暦者)が暦を販売していた。

しかし、修正しても旧暦はどうしても農作業などに支障があったので、実は農民は太陽の運行に基づく暦も併用していた。それが中国で考案された二十四節気である。夏至・冬至や春分・秋分、立春・大寒・啓蟄など、今も天気予報でよく聞くのがそれで、太陽暦の1年を24に区分して節目とした。西暦で暮らしている私たちは、節分は毎年2月3日(今年のように2日だと戸惑う)にやってくるが、旧暦で暮らしていると節分の日付けは毎年違っていたことになる。さらに日本では季節に合うように八十八夜や二百十日のように春分からの日数によって設けられた節もあった。こうした節は暦にも記載された。

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鉢植え大名

2021/06/01 :越佐歴史漫筆

新潟市歴史博物館(みなとぴあ)  館長     伊東 祐之 氏

歴史小説の「ウソ」

歴史の仕事をしていると損だなと思うことがある。いわゆる歴史小説や歴史ドラマを楽しめないのだ。頭の中で、あるいは口に出して、「ウソだ」と言ってしまう。もっとも、これは私の性格の問題かもしれないが。歴史小説について、多くの人が「 」に入ったセリフはその通り当時の人が言ったとは思ってはいないだろう。だが、地の文で説明的に書かれていることは本当だと思ってしまう。でもそれは作者が言いたいことを言うために創った物語に、真実味を与え、架空の人物や出来事を本当らしくするための説明であることも多い。

歴史小説は、戦前は「実録物」と呼ばれ、史実の登場人物や背景の出来事を用いて、架空の楽しい、面白いことを書くために作られた話で、軍談や講談、浪曲を筆記したり、新聞に連載したりすることから始まった。「実録」だから本当の事を記録したものと考えるのは大きな間違いである。

書いたことが本当のことと思われている筆頭の小説家が司馬遼太郎である。彼は歴史研究者ではない。彼は歴史書を著述しているのはなく、小説を書いているのである。例えば『峠』には、戊辰戦争時に江戸から蒸気船で帰ってきた河井継之助が、新潟から長岡へ向かうシーンがある。記述によれば、河井は信濃川沿いに歩いて三条を目指すが、日が暮れて夕霞にけむってみえた村上藩領の白根町で泊まり、宿に老婆を集めて越後の盆踊りを楽しむ。お気付きだと思う。白根は新発田藩領であり、信濃川岸ではなく中之口川岸の町である。事実としては、このとき河井は新潟から長岡藩の曽根代官所に寄っている。信濃川沿いに長岡に向かったのではなく、西川沿いの道を進んだ。私は司馬の間違いを指摘して喜んでいるわけでなく、司馬の記述を本当だと思い、河井は白根に泊まったと喧伝する人がいるのが困るのだ。

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小蒸気船「新潟丸」という船

2021/05/06 :越佐歴史漫筆

新潟市歴史博物館(みなとぴあ)  館長     伊東 祐之 氏

ごあいさつ

越後や佐渡の近世・近代の歴史について、書かせていただく機会を頂戴した。拙い文章だが、楽しんでいただきたいと思う。

私は、ずっと新潟県や新潟市の歴史の本を編んだり、展覧会を催したりする仕事に携わってきた。今も新潟市歴史博物館みなとぴあに籍がある。私たちは、みなさんにみなとぴあの館内で楽しく歴史を知っていただきたいと思っているのだが、残念ながら世間では「みなとぴあといえばロケーション」という評価の方が高いらしい。それでも「みなとぴあができて新潟の港を感じる場所ができた」と言われれば、自分が場所を決めたわけでもないのにうれしい。

みなとぴあの風景のなかでも是非眺めてほしいのが、私たちが「大回頭」と呼んでいる風景である。船は左舷を埠頭に着けて左側から乗り降りするものらしいので、佐渡から着いたフェリーは万代島では川の上流に向かって着岸する。そのため佐渡へ向かう時には、みなとぴあ前で巨大な船体を180度回転させて出航する。なかなかに勇壮なシーンである。まだ見たことのない方は、佐渡汽船の出航時刻に合わせてご来館を。

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