新潟県における銀行業の発展③─第六十九国立銀行(現・北越銀行...

2020/12/24 :郷土の近代化を振り返る

京都産業大学   経営学部   マネジメント学科教授  松本 和明 (まつもと   かずあき)  氏

1.長岡の復興とランプ会

北越戊辰戦争が終わった翌年の1869(明治2)年の初春に、長岡城下にて職人の賃金をめぐって士族・商人・地主などの代表が集まり議論したものの結論が出なかった。表一ノ町で唐物商を営む岸宇吉は、長岡藩士の小林虎三郎に解決策を尋ねた。

岸は新潟の山本平蔵家から養子にはいった翌年の1850(嘉永3)年以降虎三郎から直接教えを受けていた。虎三郎は有効な方法を指導した。岸は、有識者の知見を傾聴して関係者と議論することの有用性を強く認識した。

この年、岸は当時としては珍しい輸入品である石油ランプを横浜で入手し、これを見物するために多くの人々が訪れた。こうしたなかで、長岡の今後が話題にのぼった。これを契機として、さらに踏み込んで議論するべく、各界各層の人々が集結して定期的に会合をもつこととなり、「ランプ会」と名付けられた。

幹事役としての常議員には、岸と三島億二郎(長岡藩大参事)・渡辺六松(唐物商)・目黒十郎(書籍商)・梛野直(医師)・佐藤作平(唐物商)が就いた。

主な参加者としては、士族は森源三(後の札幌農学校長)、商人は松田周平(書籍商)・木宮静一郎(後の長岡町長)・野本清平(四十物商)、地主の山田権左衛門・近藤九満治・広川真弘および笠原文平(三条町)、神職の三芳野千春、後に慶応義塾塾長・長岡洋学校教頭を務める藤野善蔵などが名を連ねた。

ランプ会では、東京などの最新情報を交換・共有するとともに、地域のあり方などについて活発な議論がたたかわされた。それまでの士族と町人との対立・反目関係を超え、出自・身分にこだわらず、戊辰戦争からの復興を目指して、自らの手で長岡の将来の方向性を築いていった。

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