新潟県における銀行業の発展⑧─三条地域での銀行の設立と展開─

2020/12/25 :郷土の近代化を振り返る

京都産業大学   経営学部   マネジメント学科教授  松本 和明 (まつもと   かずあき)  氏

1.三条銀行

三条地域に金融機関が創設される大きなきっかけとなったのが、1880(明治13)年5月21日に発生したいわゆる「糸屋万平火災」である。上町から出火した火災は三条町全域に加えて一ノ木戸・西および東裏館・上林・旭・須頃村さらに西蒲原郡燕町(現・燕市)まで延焼し、死者34名・負傷者52名、焼失戸数2,743戸を数える大惨事となった。

この災禍からの復旧さらに復興を推進するにあたり、三条町および近隣の有力者たちは資金調達の組織化を企図した。翌81(明治14)年4月15日に、有限責任三条会社が三ノ町に設立された。頭取に長谷川半平、副頭取に笠原文平、常務取締役に小師治七、取締役に源川万吉・広川長八・石田長次郎・浅間伝左衛門などが就いた。

長谷川は本下田村(後に森町村・下田村)在住で、南蒲原郡域を代表する地主の1人であった。源川は三条町一ノ町、石田は三ノ町で呉服太物商、浅間は一ノ町で小間物商を営んでいた(『日本全国商工人名録』1898(明治31)年)。

有限責任会社とは現在では目にすることがない組織形態であるが、ほぼ株式会社を意味するものといってよい。1893(明治26)年の商法(会社法)施行までは法的な株式会社は存在していなかったのである。

三条会社は「銀行類似会社」である。国立銀行条例では国立銀行以外では「銀行」と称することが制限され、さらにこの当時は銀行数過多のために国立銀行の新設が認められず、やむをえず銀行類似会社を選択することとなった事例が全国に多数存在していた。三条会社も1つのケースである。社名はともかく、預金・貸金・為替業務をおこなっており、実質的には銀行であったといっても過言ではない。

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