新潟県における銀行業の発展⑩─小千谷および小出地域での銀行の...

2021/01/18 :郷土の近代化を振り返る

京都産業大学   経営学部   マネジメント学科教授  松本 和明 (まつもと   かずあき)  氏

小千谷は、江戸時代中期の1724(享保9)年に会津藩の領地となり、55(宝暦5)年に代官所がおかれるとともに、「小千谷縮」および原料の苧麻の売買がさかんとなり、魚沼郡の中心地として栄えた。

明治維新後には、1874(明治7)年に国学者の山本比呂伎をはじめ商人の山本安兵衛や広川利兵衛などによる織物の生産や米などの物産販売を目的とした機会社(資本金1,000円)、80年5月に山本および五十嵐麗景や井口官蔵などによる金融業および諸物産売買を目的とした保進社(資本金3万3,000円)が立ち上げられた(小千谷市史編修委員会編『小千谷市史 本編下巻』小千谷市、1967年)。時代の変化のなかで、近代的組織をいち早く取り入れており、地域の先駆性をみいだしえる。

山本は、私財1,000両を投じて、1868(明治元)年に「小千谷校」を下タ町(現・小千谷市元町)の五智院に創設した。同校は日本初の公立小学校で、小千谷小学校のルーツである。ちなみに、翌1869年に京都で住民自治組織による番組小学校が立ち上げられている。

1873(明治6)年に第四国立銀行、78(明治11)年の第六十九・七十一・百十六国立銀行、79年の第百三十九国立銀行と新潟県内での銀行の設立が相次ぐなかで、小千谷でも金融機関の設立の機運が高まっていった。

1880(明治13)年11月に、西脇吉郎右衛門・山口権三郎・山田権左衛門・大塚益郎・蕪木八郎右衛門が発起人となって、資本金15万円で銀行類似会社を創設することを決めた。

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